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研究情報 No.72 (May 2004)

巻頭言

新任のご挨拶

関西支所長 河室公康

4月1日付けで独立行政法人森林総合研究所関西支所長を拝命しました。関西支所研究情報の読者の皆様にはこれまでと同様、本紙のご愛読とともに支所活動全般についても一層のご支援を賜りたく何卒よろしくお願い申し上げます。

ところで、関西支所には国の内外から毎年千人近い方々が様々な目的で来所されます。過日、支所を見学いただいたグループの皆さんに研究成果の一例をご紹介したことがあります。そのとき、思いがけず一人の年配の参加者から「目から鱗が落ちました」とお褒めの言葉をいただき、たいへん嬉しく思ったことがあります。話のタイトルは、森林土壌に関する最近の研究のトピックで、「炭素が語る黒い土のルーツ」と題する小さな研究成果例でした。内容は、わが国の森林土壌の中に漆黒のA層を持つ特徴的な黒色土がありますが、この黒色の土壌有機物がイネ科植物のススキとチガヤに由来するものである決定的な確証を炭素安定同位体分析によって得ることができたとするものです。この例のように、研究者の身近には当事者が考えている以上に一般の方から見ると「目から鱗」の研究成果がころがっているのではと思っています。

話は変わりますが、近年、研究予算の大半が競争的資金にシフトして、これを獲得するのに大変なエネルギーを要する時代になりました。新発見、新発明に類する素材でも持っていなければ、1人の研究者または単独の研究機関の努力では、競争的資金は獲得できそうにないのが実状です。とくに森林、林業に関する研究は自然が相手ですので不確実な要素が多く、短期間に目に見える成果をアピールしにくいため、資金の獲得には不利となっています。ここでは、個々人または幾つかの機関で「目から鱗」の小さな研究をいくつか寄せ集め、より大きな研究プロジェクトを仕立てる地域の連携協力が必要になります。

関西地域は、幸いにいくつもの優れた研究実績を有する府県などの研究機関と多くの人材に恵まれています。例えば関西林試協の専門部会活動に見られるように、地域の研究機関の人と知を繋ぎ、連携して質の高い研究成果を生産できるシステムの発展に尽力する所存です。微力ながら関西支所は地域連携研究のセンター的役割を更に充実し、地域の森林・林業を支える研究成果の産出に貢献したいと考えています。

本紙面をお借りし、これまでの関係各方面からのご協力に対して深く感謝申し上げるとともに、今後のご支援をお願い申し上げる次第です。

研究紹介

里山の語り部「シシ垣」

奥 敬一 (森林資源管理研究グループ)

「シシ垣」というものを御存知でしょうか。これは「シシ」、つまり「イノシシ」や「シカ」が山からおりてきて、田んぼや畑の作物を荒らすのに困った昔の村人たちが、村の中にこれらの獣が入ってこないようにと、山と農地との境界に作った石垣などのことです。

全国的に見ると、イノシシが少ない東北地方にはほとんどシシ垣はありませんが、関東から西には沖縄などの島も含めて、各地にいろんな形態のシシ垣が残っています。石材がまわりに豊富にある西日本では石で組んだシシ垣が多く見られ、中部や関東では木の柵や土を盛り上げたシシ垣が多く作られたようです。そして、たいていは山地の集落か、せまい平野が山に接する部分の集落に残っています。

関西支所が里山に関する様々な調査研究を行っている琵琶湖西岸の滋賀県志賀町にも、このシシ垣は残っています。現在ではまわりの木も大きくなり外からは目立たなくなっていますが、いくつかの地区では人の背丈以上の高さがあるしっかりしたシシ垣が集落近くに残っていて、かつての様子を現在に伝えています(写真-1)。

志賀町には、江戸時代からシシ垣が作られていたことを示す古文書がいろいろと残っています。ある集落では1779年以降のシシ垣修理にかかった経費の記録が残っていて、だいたい6年に1度は修理されていたことがわかります。中には、ある集落が間違えてとなりの集落の中にまでシシ垣を作ってしまったことが記されている古文書まであります。明治初期頃の集落の様子を記した村絵図にもシシ垣は描かれていて、現在はシシ垣が残っていない集落でも、かつては集落と農地を取り囲むようなシシ垣があった様子が描かれています(図-1)。この辺りの集落には、たいてい数百m~1km以上の長さにわたるシシ垣が巡らされていたようです。

今では獣よけとしての役目をすっかり終えてしまったかのように見えるシシ垣ですが、現代的な活躍の場はないのでしょうか。

シシ垣は里山林と接していて、林の魅力を引き立てる絶好の歴史的・文化的なアクセントになっています。さらに、たいていはシシ垣の脇には人がひとり通れるくらいの道ができていて、簡単な整備をすればすぐにでも楽しい散策道になる可能性を持っています。たとえば一般の人に1km程度のシシ垣のあるコースとないコースを歩いてもらい、散策体験の印象を評価する実験を行ってみると、図-2のようにシシ垣があるコースの方に親しみやすさがより強く感じられたり、里山の大事な特徴のひとつである文化にふれる印象を持ったりするのです。

 

 こういう散策道のような仕掛けを里山への入り口とすることで、獣と人間の生活の間に今でも存在する緊張関係について考えたり、集落ごとの地形条件や土地利用の違いといったことを学ぶ場を創り出す可能性が開けてきます。

 格好よくいえば、シシ垣はそれ自体が地域住民と自然環境との間の相互作用によってできた、地域の風土性の象徴である、といえるでしょう。地域の自然環境の特徴を学び、将来の自然とのつきあい方を考えるための教育的な材料として、シシ垣にはまだまだ活躍の場面が用意されていそうです。里山の「語り部」として、私たちにこれからもたくさんのことを教えてくれるのではないでしょうか。

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写真-1 今も残るシシ垣(志賀町)
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図-1 村絵図に描かれたシシ垣(守山区蔵、部分)

 

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図-2 散策体験の評価概略
 

年輪を測る

近藤洋史 (森林資源管理研究グループ)

日本のように季節の移り変わりの明確な地域では、樹木にはっきりとした年輪がみられます。年輪は、樹木の成長の旺盛な時期に作られる早材と、成長の緩慢な時期に作られる晩材との繰り返しによって形づくられています。

この年輪を計測することで、様々なことが明らかになります。その一例として木の幹における過去の成長過程を精密に測定する方法である樹幹解析を紹介してみたいと思います。

その解析方法は、幹のいくつかの位置で、幹に垂直で平面になるような「円板」を切り取ります。そして年輪が測定できるように測定面にカンナをかけます(図-1)。そして基準方向(今回は測定対象木があった場所の傾斜上部)を定め、この基準方向とこれに直角に交わる四方向の年輪の幅を測定します。

年輪幅測定の結果を用いると、図-2のような幹の縦断面図を描くことができます。この図は樹幹解析図と呼ばれています。この図で縦軸は樹高方向を、横軸は直径方向を示しています。この樹幹解析の材料となった木の高さ(樹高)は22.6m、胸高直径は32.6cmです。胸高直径とは胸の高さ(地上高1.2m)における直径で立木を最も測りやすい位置といわれており、樹幹の大きさを表す代表値となっています。この樹種はヒノキで、樹齢は84年生です。図-2では外側が84年生で、順次80年生、75年生、…15年生という5年ごとの年輪幅をもとに描いています。また一番下は地上0.6mの位置を示しています。

樹幹解析を行う過程で、特に胸高直径の円板の年輪幅を測定することで、胸高直径の成長過程が明らかになります。また、この解析を行うことによって、任意の樹齢における樹高を、立木のときの樹高測定より正確に求めることが可能になります。

直径と樹高から、任意の樹齢における幹の材積の算出が可能となります。材積とは丸太や立木の体積のことで、幹の材積のことは幹材積と呼ばれています。森林や樹木の形態を表す指標としては、先にも述べた胸高直径や樹高などがありますが、これらの指標にもまして重要なのが材積です。これは、森林からの産物である木材が材積によって取り引きされてきたためです。

このように、樹幹解析は年輪を測ることにより各樹齢における胸高直径、樹高、幹材積などの成長過程を把握することができます。

樹幹解析は、樹幹の成長経過を精密に知るにはたいへん優れた方法ですが、注意しなければならないのは、樹幹解析から得られる情報はただ一本の樹木の成長過程であるということです。単木の集合体である森林の成長過程を推定するには、胸高直径の区分ごとに健全に生育している樹木を解析木として選定するなど、森林を代表する樹木を選択する必要があります。

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図-1 測定円板
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図-2 樹幹解析図

連載

湖西の里山から (1)
薪(まき)

滋賀県の湖西の里山に暮す古老、T氏のお話より。“昔より我々は「サンナイ」言いますけど、金比羅さんから上向いては。昔の寒い時の暖をとるいうのは割木を割っておくどさんで焚くとか、おきをこしらえて暖まるとか。田舎やったら、柴とか割木を焚いて囲炉裏であたっているとか昔はやってた。それをするのに、制限されたとこもありますけど、ずっと上までどこを伐って柴や割木をなんぼ採ってもかまへんと。そういう山があります。”

割木とは薪のことで、この地域の最も上等な薪はクヌギ(メクヌギと呼ばれる)、次いでアベマキ(オクヌギ)、コナラ(ホス)でした。1970年頃まで、冬の間は自分の山や共有林である「サンナイ」での薪採集は地域の人の暮らしの中でなくてはならないものでした。そして、「サンナイ」のミズナラやイヌシデなどは、高標高域にあって成長が遅く、目が詰まっていたことから、良質な薪として扱われていました。一部の割木や柴は、湖岸から船で対岸となる近江八幡などに運ばれ、貴重な現金収入ともなっていました。しかし、今では柴も割木もほとんど利用されなくなり、里山は人々の生活からとても遠い存在となってしまいました。

(森林資源管理研究グループ・深町加津枝)

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民家の床下から数十年ぶりに日の目を見た「サンナイ」の薪

薪は、木の最も原初的な利用方法でしょう。日常の燃料として、多くの場合、一般の農民により供給され消費されてきました。そもそも太い木を伐り運び出すことは、高度な技術が必要で専門的職能の仕事です。一般の農民による管理には、むしろ木は細く低い方が好都合でした。森林をそのように管理しようと思えば、短い周期で伐採することです。これは、森林の状態に一定のリズムを持ち込みますので、その結果、そこでは特定の生活史を持つ植物群が繁茂しやすくなります。それらは萌芽力に優れ、あるいは若く小さなうちから種子を着け、そして初期成長も早い樹種でしょう。こうして薪山の植生は、潜在植生とは大きく異なったものへと移っていきます。その代表が里山のナラ林です。ナラ類は火持ちがよく、薪としても高品質でした。ちなみに、「マキ」は薪であると同時に、最も有用な木「真木・槙」でもあります。だからナラはかつてマキとも呼ばれ、その皮の荒いものがアベマキです。

さて、伝統的な里山の薪炭林管理は、人が周囲に存在する自然植生の更新過程に干渉してより好都合な植生へと誘導し、資源利用してきたという点で、すでに半栽培の段階に入っていると言えるでしょう。そこが、里山は自然なのだからその行く末は自然にまかせておけばよい、とは言い切れない所以でもあります。

(ランドスケープ保全担当チーム長・大住克博)

訂正とお詫び

前号(No.71)におきまして、以下の誤りがありました。お詫びして訂正いたします。

3ページ左側上段筆者名: 玉井  治 → 玉井 幸治

※ WWW版では修正済み。