更新日:2012年7月18日

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近世江戸の木材利用史

木材特性研究領域 識別データベース化チーム長 能城 修一

背景と目的

出土遺物によって、文献資料では明らかにできない近世江戸についての情報がもたらされるようになったのは1970年代からである。木材利用に関しては、1990年代になってから、汐留地区の再開発に伴う汐留遺跡や、営団地下鉄南北線の工事に伴う溜池遺跡、新宿駅新南口の再開発による千駄ヶ谷五丁目遺跡などで大規模な発掘調査が行われ、実態が具体的に調べられるようになった。その結果、江戸では多様な木材が大規模に使われていて、木材の流通が全国規模で行われていたことが明らかになった。また出土木材の樹種を見るかぎりでは、花粉分析や林業史研究などで指摘されてきた松林の拡大や森林資源の涸渇などは明瞭には認められなかった。その理由としては、出土遺物が見いだされる井戸・水道や地下室、廃棄穴などの遺構は江戸時代を通じて長く使用されており、時期的な変遷が読み取りにくいためではないかと考えられる。

成果

新宿区神楽坂5丁目に位置する行元寺跡においては、時期の限定される多数の遺構が検出されたため、江戸時代の各時期ごとに木製品の樹種を調べることが可能となった。行元寺は中世に起立されて江戸時代には東叡山寛永寺の末寺となっていた寺で、江戸時代には境内の東半分を貸地としていたことが文献に記されている。新宿区による発掘調査によって寺域全体から江戸時代の多数の遺構が検出され、およそ300点の木製品が見つけ出された。木製品が出土した遺構の廃絶年にもとづいて時代区分を行ったところ、17世紀以降、半世紀ごとの時期区分が可能であった。

行元寺跡の木製品は、4分の3ほどが針葉樹で作られていた(表1)。その針葉樹の樹種は多様で、カラマツやトウヒ属などの中部山岳の標高の高い山域に生育する樹種や、紀伊半島と四国東部にしか生育しないトガサワラが含まれていた(図1)。また広葉樹の中にも、主に西日本に生育するイスノキやセンダンのほか、東南アジア産のシタン類などが見出され、木材および木製品の流通が国内だけでなく、海外とも行われていたことが推測された。

木製品に使われていた樹種の変遷をみてみると、17世紀と18世紀では検出された樹種の数が異なっており、17世紀では針葉樹が4樹種および広葉樹が4樹種であるのに対し、18世紀では針葉樹が11樹種および広葉樹が17樹種と、倍以上の分類群が見出された(表1)。それを製品の種類との対応でみると、17世紀においては、箸と曲物を中心としたヒノキとサワラ、椀杯のケヤキとトチノキ、そして井戸材と樽桶のアスナロなどが多く用いられていた。18世紀になると、杭と箸のカラマツ、曲物と膳箱のトウヒ属、杭のマツ属複維管束亜属、箸、曲物、樽桶のヒノキ、樽桶、曲物、井戸材のサワラ、建築材、井戸材のアスナロ、椀杯のブナ属およびトチノキ、下駄のトネリコ属などが多用されていた。

これらの事実から、17世紀にはヒノキを中心として関東周辺の山でまかなえたものが、18世紀には周辺域の森林が枯渇したため、より奥山から木材を伐りだすようになり、ヒノキやアスナロのほか、カラマツ属やトウヒ属、ツガ属なども使うようになったと考えることができる。しかしながら当遺跡では、18世紀の木製品が210点であるのに対して17世紀のものは59点しかなく、今回得られた結果が江戸における普遍的な傾向であるのかどうかは、今後の研究で明らかにしていかなければならない。実際、当遺跡から出土した19世紀前半の木製品25点中には17世紀と同じような樹種しか見出されていない。今後は、こうした時期の明確な木製品をより多く比較することによって、江戸時代における森林資源利用の実態を明らかにしていきたい。

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図1 新宿区行元寺跡より出土したカラマツ製の箸(1~3)とトガサワラ製の井戸榑(くれ)板(4~6)の光学顕微鏡写真

表1 新宿区行元寺跡より出土した木製品の樹種変遷
樹種 17世紀 18世紀 19世紀 主要な製品
前半 後半 前半 後半 前半
モミ属     2 3 0 下駄歯
カラマツ       12   杭, 箸
トウヒ属       6   曲物, 膳箱
トガサワラ       1   井戸材
ツガ属     2     曲物
マツ属複維管束亜族     1 13 5
スギ 3 1 1 7 10 樽桶, 曲物
ヒノキ 30 1 22 12 1 箸, 曲物, 樽桶, 膳箱
サワラ 4 2 8 14 2 樽桶, 曲物, 井戸材, 下駄
ネズコ     2 2 6 井戸材, 樽桶
アスナロ 1 3 29 23 1 建築材, 井戸材, 膳箱, 曲物
クリ   1 1 2   下駄, 井戸材
ブナ属 1 1 1 6 1 椀杯
ケヤキ 6   1 2   椀杯, 建築材, 下駄歯
カツラ     3     椀杯
サクラ属       3   椀杯
トチノキ 3   5 4 1 椀杯
トネリコ属     1 8   下駄
その他広葉樹・竹笹   2 4 9 1  
合計 48 11 83 127 28  

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