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研究情報 No.74 (Nov. 2004)

巻頭言

まずフィールドに出て観察眼を養おう

地域研究官 中津 篤

自然を対象とする研究に、観察は必要不可欠です。自然の仕組みのなぞ解きは、すべて観察から始まるといっても過言ではないでしょう。一般の人々にとって観察といえば、野鳥や草花などをゆっくりと楽しみながら見るだけのように思われているかも知れません。しかし、広辞苑では、「物事の真の姿を間違いなく理解しようとよく見る」と書かれています。このことばは、思いのほか奥深い意味を持っているのではないでしょうか。私たちがすんでいるごく近くにあって、みんなが見ているのに誰もが気がつかないことを発見する。これが「観察」のだいご味といえると私は思うのです。

明治の俳人である正岡子規は、観察眼が鋭いことで有名です。彼は、「写生俳句論」を主張し、現実を見たままに写す表面的な写生から客観的な真実をどのように生みだすかについて並々ならぬ努力をしてきました。芸術の分野ではありますが、彼の観察眼は私たち自然科学の研究をするものにとっても大いに参考になると思います。

このところ、自然を対象とする研究の本場であるフィールドにあまり足を運ばないで、パソコン相手のデスクワーク、最新の機器を用い、結果が出やすい、流行の研究をする研究者が多くなり、フィールド離れがますます加速しているような気がしてなりません。対象とする自然の物事のわずかな変化、違いをかぎ取る感受性を研ぎすませる力は、フィールドの中でしか養われないと思います。

フィールドで分からなったことがコンピュータ解析で解明されることもあります。しかし、最先端をいっている生態研究者が現実の動植物の生態を知らず本質をつかめていないこともあるのです。時代のニーズにあった先端技術をこく使した研究も大切で、多様な研究があり、お互いに刺激しあうことが必要ですが、生態研究に関する結果はフィールドで最終的に実証されなければ意味がありません。「タビネズミ(レミング)は集団自殺をする」と長い間伝説のようにいわれてきましたが、フィールドでの長期観察調査の結果、天敵などによる他殺が原因だと証明された例もあります。

今、息の長い観察を続けている若い人たちは自信を持ってその仕事を続けてほしい。自然を対象とする研究は、忍耐強い観察と継続調査によってやっと成果がえられます。その仕事は先端技術と同じ価値があり、フィールドで仕事をつみ重ねている人も将来世界的に役立ち脚光をあびるチャンスがあるはずです。今まで生態学関係でノーベル賞をもらったのは、長期観察調査を続けたフォン・フリッシュ、ローレンツ、ティンバーゲンの3人だけなのだから。

身近な自然は、複雑な生態系のなぞ解き可能なキーがいっぱい埋まった宝庫です。まずフィールドに出て、観察の眼力や分析力を研ぎすませていくことにより「物事の真の姿が間違いなく理解できる」ことになるでしょう。

研究紹介

渓流の中に住む水生昆虫

吉村真由美 (生物多様性研究グループ)

水生昆虫というのをご存知でしょうか。水の中を利用して生活している昆虫たちのことで、幼虫の間だけ水の中で過ごすものもいれば、成虫になっても水の中で過ごす水生昆虫もいます。水生昆虫には、タガメやゲンゴロウなど流れのない水(池・沼など)に生息するものと、カゲロウ、カワゲラやトビケラなど流水(河川・渓流)に生息するものがいます。

水生昆虫は河川での水質指標として用いられています。どのような生きものが生息しているか調べることにより、その地点の水質を「きれいな水」、「すこしきたない水」、「きたない水」、「たいへんきたない水」に判定します。水質の悪化により、水生昆虫相が変化する事を利用したものです。

カワゲラ類は比較的きれいな川を好みますが、少し汚くなった川でも生息できる種もいます。ここでは、少し汚い木津川(写真-1)に生息しているアイズミドリカワゲラモドキ(写真-2)の生態について少しお話します。


写真-1 木津川

写真-2 アイズミドリカワゲラモドキ

多くの水生昆虫は春に羽化を行います。このカワゲラも木津川では3月末に羽化が始まり、約2週間続きます。カワゲラは不完全変態をするので、蛹の時期を経ることなく幼虫から成虫に変わります。幼虫は、水中から水際まで這い出た後、岸からあまり離れていない近くの石につかまります。そこで、羽化が行われます。羽化前の終令幼虫を採集し、室内にて飼育・羽化させた個体の頭幅を測ってみます。すると、早く羽化した個体の頭幅は大きいということが分かります(図-1)。

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図-1 羽化日と頭幅との関係

一般的に、水生昆虫では羽化時期と体の大きさとの間に負の関係があるようです。その理由は、まだ分かっていません。現在のところ、幼虫時期の水温が関係していると考えられています。

あなたが住んでいる家の近くにも、手で触れてみたくなるような川があると思います。その川には必ず水生昆虫が生息しています。水の中から小石をひとつ取り出してみませんか。小さな生き物がさっと石の上を動く姿を目にすることができるでしょう。

森林土壌に含まれるイオウ

谷川東子 (森林環境研究グループ)

酸性雨の原因物質の1つであるイオウは、石油のような化石燃料に含まれており、その燃焼によって多く大気中に放出されてきました。イオウを溶かし込んだ酸性の雨が降ると、土壌の酸性化が進み最終的には生物に有害なアルミニウムが土壌から地下水などに溶け出します。ただし、酸性化の進み方は土壌の種類によって異なり、イオウが土壌に蓄積保持されるとその影響が緩和されることが、欧米で行われた研究からわかってきました。土壌には、イオウを取り込む力が強いものと弱いものがあるようです。では日本の森林土壌には、いったいどれくらいの量のイオウが溜め込まれているのでしょうか。

日本は火山国なので、主に火山灰が積もって出来た土壌が分布しています。この火山灰土壌は物質を吸着するプラスの荷電を持つというユニークな性質があるので、今回は火山灰土壌(アンディソル)と火山灰の影響がない土壌(インセプティソル)のイオウ現存量を比較しました(カッコ内は国際土壌分類名です)。

その結果、アンディソルはインセプティソルに比べ、著しく大量のイオウを貯えており、その差は深くなるほど著しいことがわかりました(図-1)。この日本の土壌のイオウ現存量を欧米の土壌とも比較すると、アンディソルのイオウ現存量は欧米の土壌よりとても多く、一方インセプティソルは欧米土壌と大差ないことがわかりました(図-2)。詳しく調べた結果、アンディソルの荷電をもつ特性がイオウ保持に効いていることがわかってきました。

このように土壌に溜め込まれているイオウは、土壌の外に出てゆくことはないのでしょうか。欧米ではイオウ負荷量の多かった時代に土壌に蓄積したイオウが現在は流出しているという報告があります。土壌から流失するとき、イオウは主に硫酸イオンになりますが、この硫酸イオンは栄養塩類や冒頭で触れたアルミニウムを伴って移動します。アンディソルがイオウを溜め込むのを止めて放出し始めたとき、その土壌―渓流水間の物質移動の乱れは欧米より大きい、もしくは長期に渡ると考えられます。火山灰の影響を受けている我が国の土壌が、今後どれだけイオウを溜め込むことができるのかを調べる必要があるでしょう。

連載

湖西の里山から(3)
小松

湖西の里山に暮す古老T夫妻は、懐かしそうに松にまつわる話を語りました。"昔は山で松やらを玉(用材)にしようと思うと、松を残すようにして他の草をみんな刈ってしまう。今こそ松は生えんようになったけど、昔は松がよく生えたもんです。小さい時はいいけど、背くらいになると山入っても松でしょうがないほどです。すると松を間引いて伐ったり大きくなると枝を伐ったりしときますわ。それをくくったものです。束にして松葉くくり。"

松は林齢に応じ、葉、枝、幹、根などあらゆる部分が資源となり、里山に暮す人々の生活を支えてきました。次のような古老N氏のお話からも松がいかに大事な地域資源であったかがわかります。"松の木を伐ると、木は建築材に。細い枝は束にして、船に積んで東(湖東)の瓦屋行きですわ。松の葉っぱは火力が強いさかい。"

太い松は建築材として使われたほか、輪切りにされて薪や柴などの資材運搬用の車の車輪として利用されました。この地域では、松や樫、杉などを材料とした「とんぼ車(薪を運び出す車)」「はしご車(柴を運び出す車)」「石出し車(石を運び出す車)」などの木の車が必要不可欠でした。細い枝は束にくくられ、瓦を焼くための燃料として売られたほか、自家用の焚き付けとしても使われました。林床に生えた草などは刈り取られヨクサ(田んぼの肥や牛の餌)となりました。マツタケや地元でアブラボンと呼ばれる美味なキノコも秋の食卓をにぎわせました。今ではもう過去のものとなってしまった、地域それぞれにあった松と人との深い関わりの歴史がうかがえます。

(森林資源管理研究グループ・深町加津枝)
(現京都府立大学人間環境学部)

アカマツは西日本の里山で、ほぼ唯一の高木になる先駆種です。種子は小さく遠くまで飛びますが、芽生えるには土が露出したところが、成長には明るい開けたところが必要です。土地利用が激しければ、山全体がアカマツ林になりますが、一般には川沿いの氾濫原や、水利の悪い丘陵地、扇状地の高みなどに生育してきました。開田もかなわず、草地などにされてきたところです。萱原に松の稚樹が混じった景色は古くからのもののようで、各地にある小松(原)という地名はその名残でしょう。ちなみに、能舞台の正面は老松の絵ですが、対照的に橋掛かりの前には若松が配されます。これはあたかも、茫漠とした野の風景、安達原の鬼女が棲む「この野辺の松風寒き柴の庵」といった世界へ導いているかのようでもあります。一方で昔の「子(ね)の日松」の行事や、現代も続く正月飾りの根引き松のように、小松や若松は生命力の象徴としても尊ばれてきました。

このような小松原も、水路が安定し、火入れが止み、草刈りの衆が松を刈り残せば、やがて松林になります。湖西では、そのアカマツ林でここ数年松枯れが再燃し、1970年代の大被害後再生した林が再び犠牲になっています。しかし今回は、列島改造時代で造成地が多く、里山利用の名残で植生も少なかった1970年代とは、状況が異なります。当時のようには、次世代が更新して生き延びていく場所がなさそうなのです。アカマツ林は森林が安定すれば更新が途絶え、早晩、松枯れがなくとも消えゆく運命にあります。身近な景色からマツが退場する日が、そこまで来ているようです

(ランドスケープ保全担当チーム長・大住克博)

おしらせ

関西支所研究発表会が開催される

10月20日京都市アバンティホールにおいて、「里山の過去、現在、未来」をテーマに、平成16年度関西支所研究発表会が開催されました。基調講演「歴史から読み解くイギリスの景観」(ケンブリッジ大学教授 フェロー オリバー・ラッカム氏)に引き続き、3題の研究発表が行われました。
当日は113名の方々に参加していただき、大変盛況に行うことができました。