種の特徴

ヤツガタケトウヒとヒメバラモミはともにマツ科トウヒ属の常緑針葉樹である。ヤツガタケトウヒは胸高直径90cm、樹高35mに達するが、ヒメバラモミは胸高直径130cm、樹高45mとさらに大きくなる。球果の長さはいずれも3-8cmと余り変わらないが、幅はヤツガタケトウヒ(1.8-2.6cm)の方がヒメバラモミ(1.4-2.0cm)より大きい。2種はともに、長野県と山梨県の県境にある秩父・八ヶ岳と南アルプス北東部に分布している(ヒメバラモミの分布)。球果が大きなヒメマツハダをヤツガタケトウヒの変種、同じく球果が大きなアズサバラモミをヒメバラモミの変種とする見解もあった。しかし、形態や遺伝マーカーを調べたところ、単なる個体変異であり野生植物の分類群として区別する必要がないことが明らかにされた。
世界的にみるとトウヒ属の樹木は亜寒帯林を代表する常緑針葉樹だが、ヤツガタケトウヒとヒメバラモミは標高1,000〜2,000mの山地帯上部から亜高山帯下部にかけて、カラマツやミズナラ・ウラジロモミなどと森林を構成している。石灰岩の崖錐のような乾燥した立地に生育することが多く、特にヒメバラモミの大部分は南アルプスの石灰岩地に見られる。長野県伊那市の戸台川や三峰川の流域には幅数百mの石灰岩帯が南北に伸びており、時に標高差200mを超える巨大な石灰岩の岩壁が露出している。こうした石灰岩地の厳しい立地でもヤツガタケトウヒとヒメバラモミは高木として生育する。2種ともに個体数が少なく、母樹サイズの個体数は2,000程度と推測されている。特に八ヶ岳・秩父山域で確認されているヒメバラモミの母樹数は100に満たない。各母樹は単木的に散在しており、その周囲に後継樹がまったくない場合も多い。

写真.石灰岩崖錐のヒメバラモミ林(南アルプス)
遺伝マーカーを用いて集団の遺伝的な構造を調べたところ、ヤツガタケトウヒの集団はきわめて狭い地域に分布しているにもかかわらず、地域的な分化が比較的進んでいることが明らかとなった。特に集団の分断・孤立化が進んでいる八ヶ岳山域の集団では、各集団の遺伝的な違いが大きいことに加え、多様性が低下する傾向が示されている。孤立化した集団において、何世代も近親交配を繰り返して子孫を残してきた結果と考えられる。一方、ヒメバラモミは集団の分化はヤツガタケトウヒほど進んでいないが、集団の分断・孤立化が進んでいる八ヶ岳・秩父山域の集団では、やはり遺伝的多様性の低下が認められている。

衰退要因

ヤツガタケトウヒとヒメバラモミは、2万年前の氷河期には東日本に広く分布していたことが化石記録から明らかとなっている。また現在の分布地の気候は、比較的寒冷で降水量や積雪深が小さいことが特徴である。したがって、数万年単位のスケールで見ると、現在の温暖で湿潤な日本列島の気候の中、2種は自然に衰退しつつある氷河期の遺存種であると考えられる。
ただしこの100年の間に限ってみると、森林伐採とカラマツ植林がもっとも大きな減少要因としてあげられる。2種は山火事跡地や伐採跡地に更新するため、森林伐採は必ずしも悪影響だけではない。しかし、後継樹がない状況での伐採は、集団を消失へと導く。またカラマツ人工林の林床では、発芽しても暗くて成長することができない。トウヒ類は他殖性の風媒花なので、分断・孤立化した集団では花粉密度が低くなり、受粉効率が低下し、健全種子の生産に悪影響が及ぶことが懸念される。実際に孤立木となったヒメバラモミの母樹の周囲では実生をみることは少ない。さらに、近年中部山岳地ではシカによる林木への被害が大きな問題となっている。2種に対しても、シカによって若木の枝葉が食べられるだけでなく、樹皮被害から母樹サイズの個体が枯死する例もあり、深刻な影響を受けている。こうした母樹数の減少と良好な更新環境の消失が、現在直面する最大の衰退要因である。

保全のための課題と対策

ヤツガタケトウヒとヒメバラモミの保全のために、次のような対策が行われている。
このように主立った自生地には保護林指定がなされるほか、現地外保全もおこなわれ始めているが、いずれの集団でも後継樹が少ないことが直面している最大の問題である。今後の保全を考える上で次のような点に特に留意する必要がある。
@生育地の保護と現地外保全
八ヶ岳のカラマツ沢にあるヤツガタケトウヒ林は、1967年に学術参考林(現在は林木遺伝資源保存林)に指定された。また、その集団から得た接木クローンを増殖した遺伝子保存林と、実生から増殖した苗木を用い、およそ44haの人工林がつくられている。これらの林ではすでに開花結実がみられており、現地外保全として成功した例といえる。また、近年明らかにされた2種の正確な分布状態をもとに、国有林では、八ヶ岳と南アルプスの5集団がヤツガタケトウヒ・ヒメバラモミ植物群落保護林に、2種が混在する山梨県北杜市白州町の林分は県の学術参考林にそれぞれ指定された。さらに、中部森林管理局と林木育種協会によって、ヒメバラモミの種全体を保全するため、分布地全域から選んだ143個体から接木苗を増殖し、ヒメバラモミ遺伝資源林を2010年に設置した。およそ2haに700本の増殖苗が植栽され、種全体の現地外保全として、理想的な対策が進められている。
A更新サイトの光環境改善とシカ害対策
自生地では、後継樹が少ないことが直面する最大の問題である。2種はともに明るい環境下で更新するので、林冠が閉じた暗い林床だと、後継樹は成長しない。現在残されている母樹の多くは成熟した森林中にあるので、その周囲に後継樹が生育する可能性は低い。後継樹を育成するためには、周囲のカラマツやミズナラなどを伐採するなど、光環境改善のための積極的な管理が求められている。また、実生の定着を促すため、シカ食害から保護する管理対策も必要である。
ヤツガタケトウヒのカラマツ沢自生地では、後継樹育成対策としてカラマツ林の間伐とシカ害対策が2003年より試験的に進められており、少数であるが天然更新した若木も育ちつつある。

写真.シカによる樹皮剥被害


写真.カラマツ伐採地に更新したヤツガタケトウヒ(左)と実生(右)
<関連文献>
・Katsuki T, Shimada K, Yoshimaru H (2011) Process to extinction and genetic structure of a threatened Japanese conifer species, Picea koyamae. Journal of Forest Research (in press)
・勝木俊雄・逢沢峰昭・杉田久志・吉丸博志(2008)本州・四国・九州におけるトウヒ属樹木 Picea spp. の分布の現状と保全。生物科学 59(3): 149-156。
・Katsuki T, Sugaya T, Kitamura K, Takeuchi T, Katsuta M, Yoshimaru H (2004) Geographic distribution and genetic variation of a vulnerable conifer species, Picea koyamae (Pinaceae). Acta Phytotax. Geobot. 55(1): 19-28.