研究紹介 > トピックス > プレスリリース > プレスリリース 2023年 > 福島県内の低線量放射線被ばくは樹木次世代の新規突然変異を増やしていない —野外に生育する樹木を対象とした世界初の実証研究—
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2023年4月7日
福島大学
環境放射能研究所
森林総合研究所
ポイント
森林研究・整備機構森林総合研究所の上野真義チーム長ならびに福島大学共生システム理工学類の兼子伸吾准教授を中心とする研究グループは、遺伝的リスクとなるDNAの「突然変異注1)」を迅速に検出する方法を開発しました。その手法により福島第一原子力発電所事故に由来する低線量放射線被ばく注2)は、樹木の次世代において新規突然変異を増やしていないことを示しました。次世代に受け継がれる突然変異と低線量放射線被ばくの関係について世界で初めて野外に生育する樹木で実証した研究となります。
本研究成果が「Environment International」誌に発表されることになりましたので、ご報告いたします。
写真1:スギの雌花と雄花、サクラ(「ソメイヨシノ」)の花。日本全国に植樹されていること、人工的な種子の採取法が確立されていること、遺伝的データが蓄積されていること等から研究対象に適していた。
チョルノービリ(チェルノブイリ)や東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射性物質の拡散は、空間線量率の地域的な上昇をもたらしました。福島第一原子力発電所事故では、多くの植物において放射線被ばくによる影響が認められない一方で、モミの木やアカマツなどの針葉樹が通常とは異なる枝ぶりを示す事例が報告されてきました。放射線被ばくの生物に対する影響においては、DNAの突然変異の増加の有無やそのような変異が次世代に遺伝することによって生じる遺伝的リスクが懸念されます。放射線被ばくの影響が遺伝しないのであれば、被ばく量の低減後に発芽した世代は影響を受けません。しかし、遺伝によって次世代に引き継がれる場合には、より長い期間、続く世代にも影響が残ることになります。
植物における放射線被ばくと次世代におけるDNAの新規突然変異の関係については、シロイヌナズナというモデル植物と放射線の実験室内での照射実験による研究成果が出されています。突然変異が顕著に増加するためには相当量の被ばくが必要であること、種子が生産される生殖成長期の影響が大きいこと等が明らかになっています。福島県内における帰還困難区域に生育する樹木であっても、照射実験での被ばく量に比べ著しく少ない量の放射線しか被ばくしていません。これらの成果に基づけば、樹木の次世代に遺伝的リスクが生じる可能性は低いと考えられます。しかし、野外に生育する樹木で新規突然変異を検出する方法が無かったために、「帰還困難区域の樹木に突然変異の上昇は本当に無いのか?」という問いに答える実証データはありませんでした。
そこで本研究では、遺伝的リスクとなるDNAの突然変異を野外に生育する樹木において検出する方法を開発しました。スギとサクラ(「ソメイヨシノ」)を対象に福島県内の帰還困難区域に生育する個体を含む母樹から種子や実生を収集し、縮約ゲノム解析注3)によって母樹のDNAと塩基配列を比較して異なる塩基(新規突然変異)を検出し、遺伝的リスクを評価しました。
写真:調査を行ったスギの母樹の枝(上段左・白丸)から採取した球果(上段右)および人工交配中の「ソメイヨシノ」の枝(下段左・白丸)と人工交配のために雄しべを取り除いた「ソメイヨシノ」(下段右)、帰還困難区域の調査地で2018年と2019年に撮影。
本研究では2018年~2019年にかけて帰還困難区域内外のスギ31個体から採取した種子146個、サクラ16個体から採取した種子や実生69個について親個体との塩基配列の違いを調べました。RADseq法と呼ばれる縮約ゲノム解析によって、スギにおいては合計約1億7千万塩基について、サクラについては合計2億1千万塩基について親個体と次世代の配列を比較しました。
【なぜスギとサクラ(「ソメイヨシノ」)なのか?】
針葉樹は比較的低線量の被ばくでも形態的な変異が観察されるなど、放射線の影響を受けやすいことが知られています。今回研究対象としたスギは、針葉樹において、その生態や遺伝情報に関する研究がもっとも蓄積されている樹種です。それらの研究の蓄積を活かすことにより、円滑なサンプルの採取やDNA分析、データ解析が可能になりました。
サクラ(「ソメイヨシノ」)については、母樹が単一のクローンであることが研究上の大きな利点になります。「ソメイヨシノ」は国内の広い範囲に植栽されている人気のある品種で、挿し木等によって増殖させた同一のクローンであることが知られています。一般的に突然変異がおこる確率は非常に低いために、その評価のためには膨大な塩基の数を比較する必要があります。「ソメイヨシノ」のように単一のクローンが様々な場所に生育している場合、データ解析において母樹の遺伝的な違いを考慮する必要が無くなるため、データ解析における手間と時間を大幅に節約することができます。
分析の結果、スギにおいても、サクラにおいても、突然変異の有無には、種子を採取した場所や枝といった個々の環境の影響を受ける傾向が見られましたが、空間線量率や放射性セシウムの蓄積量といった放射線被ばくに関連した影響は見られませんでした(表)。例えばスギにおいて推定された突然変異の検出頻度は、最も空間線量率が高いS3調査地においては100万塩基当たり0.31か所でしたが、最も空間線量率が低かった喜多方市の調査地においては100万塩基当たり7.47か所でした(表)。スギにおいては突然変異率が生育地や枝ごとに異なることが明らかになりましたが、帰還困難区域内においてのみ突然変異の数が増えることはありませんでした。サクラにおいては、空間線量率が調査当時3.18μGy/hの環境に生育している母樹から得られた種子では、合計1億800万塩基について調べたにも関わらず、新規の突然変異は確認されませんでした。
帰還困難区域における「突然変異が生じていない」というデータは、放射線被ばくのリスクについて説明する際の貴重な基礎データになります。放射線は、少しでも被ばくすれば確実に悪影響があると感じている市民はまだまだ多くいると思われます。これは確率的影響の理解が難しいとともに、放射線の照射実験等は、変化が生じた事例について報告することが多いことも関係するかもしれません。したがって、これまであまり公表されてこなかった「変化がない」というデータは、放射線の影響に対する不安の払しょく、福島県産の農水産物に対する風評被害対策に有効な基礎データとして活用が期待されます。
森林総合研究所 上野真義
突然変異は、生物が遺伝的多様性を持つことを可能にする根源的なメカニズムです。しかし、それを親と次世代の塩基配列を直接比較することで検出することは技術的に困難でした。今回の研究で、野外に生育する樹木を対象に突然変異を多数の個体から迅速に検出する方法を確立できました。これにより樹木の次世代における遺伝的影響評価を、様々な環境の下で調べることが出来るようになります。突然変異を引き起こす原因となるのは放射線以外に、紫外線や、化学物質、ウィルスなどが知られています。また生物は、突然変異を修復する能力も持っています。今後、この手法を応用することで、突然変異に関する新たな領域が開かれ、放射線や化学物質などの外部要因による突然変異への相対的な影響の大きさや突然変異修復能力に関する研究が進展することに期待しています。
タイトル:Rapid survey of de novo mutations in naturally growing tree species following the March 2011 disaster in Fukushima: the effect of low-dose-rate radiation
2011年3月の福島原子力発電所事故後の野外生育樹種を対象とした新規突然変異の迅速な調査:低線量率放射線の影響
著者:上野真義1・長谷川陽一1・加藤珠理2・森英樹1・塚田祥文3・大平創4・兼子伸吾3,4
著者の所属:1国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所 樹木分子遺伝研究領域、2国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所 多摩森林科学園、3福島大学 環境放射能研究所、4福島大学 共生システム理工学研究科
掲載誌:Environment International(エンバイロンメント インターナショナル) エルゼビア
公開日:2023年4月7日付でオンライン公開
DOI:https://doi.org/10.1016/j.envint.2023.107893(外部サイトへリンク) (クリックいただくと論文へアクセスできます)
本論文は、オープンアクセスとなっていますので、インターネットを通じて(URL)どなたでも全文をご覧いただくことが可能となっています。
研究費:本研究は環境再生保全機構「環境研究総合推進費」(JPMEERF20181004)、文部科学省科学研究費補助金(JP18H02229)、福島大学foR-Aプロジェクトの支援を受けて実施されました。
本研究に興味を持っていただきありがとうございます。本研究成果を取り上げる際には、原典の論文を引用していただきますようお願い致します。特にウェブサイト版での記事やSNS(TwitterやFacebook、YouTube等)等での情報発信の際には、上述の論文へのリンク(DOI)を付けていただくことを検討いただければ幸いです。また、このお願いにつきまして生物科学学会連合から提出されました「研究成果をメディアへ報道する際のお願い」(https://seikaren.org/wp/wp-content/uploads/2023/02/to-media.pdf (外部サイトへリンク))も併せてご覧いただければ幸いです
注1)突然変異:遺伝情報(DNA)は親世代から、卵や花粉をへて次世代に正確に伝達されますが、ごく稀に親世代とは異なる情報が伝達される場合があり、これを「突然変異」と言います。突然変異は生物が遺伝的多様性を獲得するために必要な仕組みですが、高い放射線を受けると突然変異が起こりやすくなることが知られています。(元に戻る)
注2)低線量放射線被ばく:高線量の放射線被ばくが生物の塩基配列に突然変異を生じさせることは古くから知られています。しかし、低線量放射線被ばくによる突然変異は、突然変異率の低さや生じた突然変異を修復する生物の機能があるために、その影響については良くわかっていません。福島県内の帰還困難区域では事故後に空間線量率が上昇しましたが、それでも突然変異を増やすことが実験的に確認されている線量率の数千分の1未満です。このような低線量放射線被ばくによる突然変異の有無や遺伝的リスクを評価することは原発事故後のリスク管理だけでなく、宇宙開発などでも重要な研究テーマとなっています。(元に戻る)
注3)縮約ゲノム解析:ゲノムの全域から特定の配列を持つ領域を選抜し、ゲノム全体の特徴について分析する手法です。膨大なゲノムを構成するDNA の塩基配列のどこに新規突然変異が生じるかは分かりません。そのため理想的には対象となる個体の全ゲノムを調べたいところです。しかし、シロイヌナズナのようなゲノムを構成する塩基数が比較的少ないモデル植物等を除けば、多くの個体について全ゲノムを調べ比較するということは、現在の分析やデータ解析の技術では現実的ではありません。そこで、特定の配列を持つ領域のみに着目することによって、本研究で実施したような多検体間の比較等が可能になります。ゲノムの一部の領域に着目するといっても、最新鋭の機器によって膨大な量の塩基配列の解析が可能であるため、本研究のように新規突然変異を検出することも可能です。(元に戻る)
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