プレスリリース

平成16年11月24日



マツノザイセンチュウはセルラーゼ遺伝子を糸状菌から遺伝子水平転移によって獲得した?

独立行政法人 森林総合研究所



 日本で最も重大な森林病害であるマツ材線虫病による「松枯れ」の原因となるマツノザイセンチュウから新規セルラーゼ遺伝子を発見し、このセルラーゼ(細胞壁の分解に関与する酵素)が他の植物寄生線虫のセルラーゼとは全く異なるタイプのものであることを明らかにしました。さらに、この遺伝子が糸状菌からの遺伝子水平転移により獲得されたものである可能性を示しました。本研究成果によって、マツノザイセンチュウが他の植物寄生線虫とは異なる独自の植物寄生能力の進化過程を経たこと、その進化には遺伝子水平転移が関与している可能性が示されました。
 この成果は、糸状菌から線虫へという真核生物間の遺伝子水平転移の可能性を世界で初めて明確に示したものであり、生物進化、特に寄生能力の進化について深い理解をもたらす新知見です。また、マツノザイセンチュウの植物寄生メカニズムの研究や防除法の確立に新たな方向性を提示する重要な発見と期待されます。     

【背景】
 マツノザイセンチュウは松に寄生し、マツ材線虫病の原因となります。この被害は甚大で、毎年日本各地で多くの松が枯死しています。この被害を食い止めるためには、まずマツノザイセンチュウの松寄生のメカニズムの深い理解が必要です。マツノザイセンチュウの植物寄生のメカニズムを分子レベルで探るために、我々はマツノザイセンチュウの遺伝子を大量に解析する計画(マツノザイセンチュウESTプロジェクト)に取り組んできました。

【セルラーゼ遺伝子の発見と糸状菌からの水平転移】
 ESTプロジェクトの過程で、マツノザイセンチュウからファミリー45に属するセルラーゼの遺伝子を発見しました。セルラーゼは植物の細胞壁を分解して線虫の植物寄生に関与すると考えられている酵素です。このファミリーのセルラーゼは、これまでいかなる線虫からも見つかっておらず、線虫類として最初の報告です。さらにこのセルラーゼは糸状菌のセルラーゼと強い類似性を示しました。ファミリー45のセルラーゼ遺伝子は2種類の昆虫(カミキリムシとハムシ)からも見つかっていますが、マツノザイセンチュウのセルラーゼはそれらよりも飛びぬけて糸状菌のものと近い関係にあることが、系統解析により明らかになりました(図1A:PDF)。この結果は生物進化の系統樹に沿わないものであるため(図1B:PDF)、このセルラーゼ遺伝子は種の壁を越えて糸状菌から線虫へ移動してきた(水平転移した)のではないかと考えられました。糸状菌から線虫へという真核生物間の遺伝子水平転移はこれまで明確に示されたものはなく、本報告は世界で初めてその可能性を明確に示したものです。このことは生物進化、特に寄生能力の進化を理解するうえで重要な新知見であるといえます。

【他の植物寄生線虫と異なる進化過程?】
 他の植物寄生線虫(ネコブセンチュウ・シストセンチュウなど)はファミリー5に属するセルラーゼの遺伝子を持っていることが知られています。このセルラーゼはバクテリアのものと類似性が高く、線虫と深い関係にあったバクテリアから遺伝子の水平転移によって獲得されたと考えられています。マツノザイセンチュウは他の植物寄生線虫と違い、糸状菌を餌とすることが出来るなど、バクテリアよりも糸状菌と深い関係を持っています。よってマツノザイセンチュウのセルラーゼ遺伝子は、この深い関わり合いの過程で獲得されたのではないかと考えられました(図2:PDF)。
 今回の結果は、マツノザイセンチュウが他の植物寄生線虫とは異なる植物寄生能力の進化過程を経たこと、線虫の植物寄生能力の進化には遺伝子水平転移が関与していることを示しています。

【今後期待される研究の進展】
 マツノザイセンチュウのセルラーゼ遺伝子をより詳細に解析することにより糸状菌から線虫への遺伝子水平転移のメカニズムを探ります。さらにセルラーゼ以外の植物寄生に関与する遺伝子の探索を行い、その進化的な起源を解析することで、マツノザイセンチュウの植物寄生戦略と進化を理解することに努めます。
 このようにして得られた成果は遺伝子水平転移や寄生能力の進化に関しての深い理解をもたらすだけでなく、マツノザイセンチュウの植物寄生メカニズムが解明され、新たな防除法の開発につながることが期待されます。

本成果は、FEBS Letters(欧州生化学会連合誌)Volume 572* (2004年8月刊)に掲載されました。
*Kikuchi, T., Jones, J.T., Aikawa, T., Kosaka, H., and Ogura, N. (2004). A family of glycosyl hydrolase family 45 cellulases from the pine wood nematode Bursaphelenchus xylophilus. FEBS Lett. 572, 201-205.





 独立行政法人 森林総合研究所 理事長 田中 潔

 研究推進責任者:森林総合研究所 森林微生物研究領域長 楠木 学
              Tel:029-873-3211 内線403

 研究担当者  :森林総合研究所 森林微生物研究領域 森林病理研究室 菊地 泰生
              Tel:029-873-3211 内線404

 広報担当者  :森林総合研究所 企画調整部研究情報科長 杉村 乾
              Tel:029-873-3211 内線225 Fax:029-873-0844



(用語解説)

※EST
 Expressed Sequence Tagの略。生物材料からRNAを抽出しcDNAライブラリーを作成し、そこに含まれる配列をできるだけ多数シーケンスしたcDNA配列情報のこと。ESTの配列情報は、データベース(NCBIのdbEST: http://www.ncbi.nlm.nih.gov/dbEST/)など)に登録され、新規の遺伝子の発見や遺伝多型の解析などの研究に利用される。

※ファミリー
 ここではGlycoside Hydrolase Familyのことをさす。配糖体の分解酵素をそのアミノ酸配列の類似性によって分類した群。その分類はCazy(http://afmb.cnrs-mrs.fr/CAZY/)から参照できる。

※系統解析
 遺伝子や生物種などの誕生から今日までにたどった歴史、および他のグループとの進化的関係を解析すること。

※系統樹
 系統解析の結果を図示したもの。

※遺伝子の水平転移
 遺伝子は普通、親から子へと伝えられる。これを遺伝子の垂直伝播という。これに対して、遺伝子が親子を経由しないで、生物の種の壁を越えて伝えられる場合、遺伝子の水平転移という。





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