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なぜ木造建築か!!!


言うまでもなく森林総合研究所は、農林水産省 林野庁の唯一の試験研究機関として設置されており、日本農林規格(JAS)製品として流通される木材・木質材料について、その用途の拡大や新技術の開発の性格を有しています。

個人的には建築鉄骨の接合に関しての研究を行ってきたのですが、森林総合研究所では木材を利用した構造物全般に関して建築工学を学び、構造工学を学んだ素養を生かして研究に取り組んでいます。

一般に工学部の建築学科で、木造建築を研究している研究者は非常に少ないのが現状で、比較的多くの研究者を有する農学部の林産学科を含めてもその全数は他の構造の研究者に比べて多くはありません。日本の建築物の着工戸数に占める木造建築の数に比べてその研究者が少ない理由は、大きな震災と第二次世界大戦が絡んできます。

戦前はほとんどの建築物が木造で建てられており、西洋技術の輸入に伴ってコンクリートや鉄を利用した建築物が普及しつつありました。当時、西洋の建築構造を大学で学んだ研究者たちは、福井地震?などの震災調査から帰ると日本の伝統的建築方法をことごとく否定し筋かいの導入を図り、規格等に反映したものの、現場で施工する大工等の賛同を得る努力をしなかったために、現場技術者と研究者のかい離が甚だしいものでした。このような研究が評価されにくい木造建築を避けて他の構造に研究者が流れていった事も事実のようです。

また、戦時下において焼夷弾による攻撃を受けた都市部で建築物の不燃化が急務であるとして、防火に関して不利な木造は都市計画上問題視されてきた事も事実でしょう。しかし、第一次大戦から第二次大戦までの間は、物資の不足や他の構造の技術が未熟であったため等により、むしろ木造建築を推進し研究が進められた事もありました。木造建築においては当時のドイツが国内調達できる木材を利用した構造の研究が最先端であった事もあり、軍事同盟を結んだ日本の大規模木造建築に大きな影響を与えたようです。
戦後は戦災復興住宅等が木造建築で建てられたものの莫大な需要と闇経済からその品質を云々するような状況ではなかったようです。またそのような安普請で虐げられた市民が徐々に他の構造へ夢を追いかけていったのではないでしょうか。

高度経済成長期にあっては、戦災の傷が癒えた事と所得倍増計画等で持ち家意識が高まり、住宅全体の需要が増え、当時供給体制や施工技術がまだ未熟であった他の構造に比べて実績のある木造住宅が数多く建てられました。このような状況の中でほとんど完成された技術と信じられ、中小の工務店やひとり大工という技術習得や開発に対する投資を敬遠しがちな施工主体と研究者の間には大きな溝があったと思われます。

現在は、阪神大震災が神戸という都市部であった事と木造住宅の下敷きにあって数多くの人名が失われた事や住めなくなったという事などから、住宅が他の構造に流れていく危機感もあって現場施工技術者の耐震性の研究についての関心も高い状況にあります。しかし、「喉元過ぎれば...」という言葉があるように徐々に落ち着いてきているようです。

では、なぜ木造建築なのでしょうか?

木造建築は建築材料としての長い歴史とそれに伴う技術の蓄積があります。日本の気候風土と共にある歴史が長いという事は、今日大きな問題となっている環境負荷が少ない建築材料であると考えます。しかし、新しい技術によって古くから伝わる伝統技術が埋もれ失われようとしている事も事実です。環境負荷が少ない建築材料である事と失われていく伝統技術や文化は密接な関係があると考えています。新しい技術の普及・一般化は、施工性や経済性などからのみ評価されてきたので環境負荷という評価軸からは改めて評価される必要があり、今後の状況によっては古くからの伝統技術に戻るべき点があるかもしれません。

しかし、今日的な住み手の住まい方(居住者の意向)と古くからの伝統技術と文化の間には、かけ離れた要求水準が存在する事は言うまでもありませんが、これを整理し、環境問題として考えて、変えていく必要のある部分については新しい住まい方の文化としてとして啓蒙していく必要があると考えています。

古い家ではどうなっていたのでしょうか

古民家にあっては「建物は夏を旨とすべし」として、風通しの良い室内と高く急勾配の茅葺き屋根、通気の良い床下などによって高温多湿の日本の夏を過ごし易くする工夫がなされていました。

昔の家の耐久性はどこからきたのでしょうか?

耐久性は今よりも劣っていたと思われます。しかし、メインテナンス(手入れ・修繕)をしながら住み続けていたものと考えます。茅葺屋根はその下でかまどやいろりなどの煙を出す事で防虫を毎日に生活の中で行っていた事になります。普請は専門職である大工が取り仕切っていくものの、施主である住まい手が参加している事でメインテナンス上の知識を得ていた事になると思います。使われた材料も身近に手に入る自然材料であるために、メインテナンスに必要なときに十分な量を手に入れる事が出来たと思います。どうしても劣化しやすい部分については、構造的な工夫を凝らし、劣化した場合に交換が利く部材などから構成することなどによって耐久性を上げていたと思われます。

他の材料に比べて単位重量あたりの強度が高い木材は、軽くて強い材料です。しかも、天然素材であるためにその生産は投入するべきエネルギーはありません。その分、自然素材である木材は工業製品とは違って、材料としての性質は不均質・不安定であり、今日的な材料としては扱いにくいものです。モンゴルの遊牧民が使うパオは、その構造材量としては鉄でもアルミでもだめで木がもっとも目的に適している材料であるといわれている。駱駝で運べて砂嵐で折れない、プラス40度からマイナス40度までの温度差にも耐えれる金属・非金属の材料はなかなか適した物がなく、プラスチックや各種ファイバー樹脂も考えられるが身近な材料であり接合などの点で扱い易い事からも、木材が良いらしい。

金属系の材料にない特徴は何なのでしょうか?。

家畜用の飼育舎は通常構造躯体が剥き出しのまま使用されますが、金属系躯体では糞尿に含まれるアンモニア等によって急速な腐食を受け耐久性に問題が生じ易い。そのために構造材料として木材が利用される事が多いらしい。また木を用いた場合には錆止めなどの塗装メインテナンスの点からも有利な様である。

木材を資源として効果的に利用することを考えると、木は長い時間をかけて自らの形や体質を変えて育ってきたものであるから、できるだけ手を加えないで木を使うことが良いと思われる。そう考えると木材は丸太のままで活用できれば、もっとも望ましいわけであるが、木自身が形を変えてきたのは立木(「りゅうぼく」と読む。木が生えている状態)の状態であって、利用される形態はさまざまである。丸太として利用できれば木を切り倒し運ぶコストだけであるが、その利用方法と運送コストは問題である。

廃棄物処理の点で木と紙と土で出来た昔の家は、50年100年経つと朽ち果てて跡形もなく無害化されるのですが、現在使われる多くの建材は、耐久性を上げるための薬品処理や複合材料等の形態で使われるためにそのような自然の流れに任す事は出来ない状況であるとも言えます。

理想の研究環境と住環境を目指して作られた筑波学園都市ですが、都市計画でイメージされる正三角形や直線は、実は理想的、観念的世界の代物であって、その形に近づけ維持していくためには多くのエネルギーを必要とします。不便と考える道路工事もその恩恵によって高速・快適な車の走行環境を得ています。工業材料であるアスファルトを利用して作られたつくばの道路ですが、それを日々着実に壊しているのが街路樹の根です。車道は舗装工事が行われ修繕されるものの、歩道・自転車道・公園は植物の根によって「でこぼこ」にされてしまいました。夏の日陰や安らぎを与えてくれる植物の効用を考えると致し方ない事なのかも知れませんが、人間が自然を押さえつけることはなかなか無理があり、長期的に考えれば自然と共存できる環境を上手く見いだし折り合いをつける事が得策ではないでしょうか。

自然との折り合いをつける事は、本来日本人の得意とする分野であったと思われます。

和風建築の和風とは一体何であるかの問いに、融合・寛容を挙げた人がいます。茶の湯から発展した数寄屋建築を研究された方で、如何なる外部文化をも受け入れ、自分の持つ文化と合わせてそこにその都度新たな秩序を見出すことで客との融和を図ると表現しています。またそこには相手を迎えて敬う「もてなし」の心も感じられます。茶室はそのような敬いの心を重視してその密度を挙げるべく物理的には狭い空間を設定し、そうするながらもそれを感じさせない空間的意匠的な工夫を凝らすことにあるとしています。その工夫は灯り一つをとってもほの暗く、ほの明るい、上々の明るさを求めて空間の広がりに工夫を凝らしたようです。


まだまだ勉強したい事、書きたい事がありますがとりあえずここで手を休める事にします。


Masahiko KARUBE, Ph.D.
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