平成12年度 森林総合研究所 研究成果発表会
ランドスケープエコロジーに基づく里山ブナ林の保全
関西支所 風致林管理研究室 深町加津枝
1.背景と目的
ブナ林は多様な生物種を育み,地域文化の形成と深くかかわってきたが,孤立化や必要な管理の停止など保全に向けた多くの課題がある。その保全においては,複雑,多様化した社会的背景をふまえ,ブナ林をとりまくランドスケープ(森林,農地など相互に関連し合う様々な土地被覆のセット)の特質を包括的にとらえることが重要である。
本課題では,近畿地方におけるブナ林の分布状況を明らかにするとともに,ランドスケープエコロジーの観点から,里山ブナ林をとりまくランドスケープの構成要素の分布と変容パターンを明らかにした。そして,里山ブナ林及び周囲の里山林(主に薪炭林として利用された落葉広葉樹林)の利用履歴と生態的特性の関係に基づき,今後の里山ブナ林の保全計画のあり方を検討した。
2.近畿地方のブナ林の分布と保全状況
図1には,近畿地方における潜在自然植生図,現存植生図上でのブナ林の分布を1kmメッシュデータで示した。現存植生図上のブナ林は潜在植生図上のブナ林の約10%を占めるにすぎず,そのうち75%は植林地など他の植生区分に隣接していた。
図2には,保全ブナ林リストにある70か所のブナ林の面積,最低標高及び保全規制との関係を示した。保全規制は,強い規制,弱い規制,内部規制,未規制(報告書等への掲載のみ)と区分した。約40%のブナ林は強規制の地域に属するが,面積が小さく最低標高が比較的低いブナ林には具体的な保全施策のないものが多かった,これらは主に地域社会の中で薪炭林などとして利用されてきた里山ブナ林であった。
図1. 潜在植生図及び既存植生図上のブナ林の分布
図2. 保全リストのブナ林の最低標高,面積と保全規制の関係
3.ブナ林をとりまくランドスケープの変容
保全施策が必要な里山ブナ林の事例として,京都府丹後半島の宮津市上世屋地区,大宮町五十河地区を選定した。図3は,両地区の里山ブナ林をとりまくランドスケープの主な構成要素となる土地被覆の変容パターンである。1900〜1996年の間に,松枯れや薪炭利用の激減,過疎化に伴う水田の放棄など自然・社会環境にともない,異なった頻度や大きさで広葉樹の伐採や人工林化,水田の広葉樹林化などが起こった。そして,1996年には図4に示す樹種・林齢の空間パターンに見られる,複雑なランドスケープが形成された。
里山林は,このようなランドスケープの変容の中で,地域住民の生活や生産活動を物質的に支えてきただけでなく,村の領域を視覚的に形づくり,水田や採草地など他の構成要素とともに,一つのまとまりある里山ランドスケープの主要な構成要素として大きな役割を果たしてきた。そして,里山ブナ林は,集落から比較的遠距離にある,標高500〜700m以上の高標高域に位置し,比較的高蓄積かつ大面積でまとまった里山林であった。
里山ブナ林は,大火の際の集落の復興用の炭焼き,家屋の自家用用材の伐採などが中心で利用圧が低く,主に非常時用の備蓄という役割を果たしてきた。里山ブナ林の分布は,地域住民との関連から見れば,地域独自の自然環境のもと,里山ランドスケープと深い関わりのあった伝統的な土地利用形態に組み込まれ,その一部として環境要因に規定されながら,必然的な合理性をもって分布してきたものと考えられる。
しかし,1960年代からの薪炭材需要の低下や,地域住民の生活形態の変化など社会環境の変容に伴い,備蓄という資源価値は失われ,その存在自体についても地域住民の認識から遠ざかっていった。林道建設などによる利便性の増加は,このような里山ブナ林に対する,パルプチップ材としての利用などの外部からの伐採圧を高めることにつながった。そして,人工林化や他の植生への変化によってその面積が減少する傾向にあった。
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図3. 丹後半島山間部における土壌被覆の変容パターン
図4. 1996年の樹種・林齢分布の空間パターン
4.里山ブナ林の利用形態と生態的特性
上世屋・五十河地区の里山ブナ林は,利用目的や伐採周期などから,天然生区,選択的管理区,長伐期管理区に区分できた(表1)。そして,里山ブナ林の管理手法と植物の種組成,多様性,林分構造には特徴的な対応関係があった(表2)。
天然生里山ブナ林では,木本種の多様性が低い傾向があったが,伐採周期の短い管理手法ほどブナ天然林に特有の種数が減少し,稀に出現する種が見られなくなる傾向があった。林床植生では,ササの出現状況や種組成が大きく異なっていた。天然生里山ブナ林ではチシマザサが優勢であったが,選択的管理,長伐期管理里山ブナ林では,刈り払い後の繁殖力の強いチマキザサが林床を覆っていた。
生活形でみた植物種の出現パターンはどの区分もほぼ同様であったが,調査区ごとに出現する草本種の違いは大きかった。これは管理手法の違いだけでなく,他の高木種などに比べ草本種が標高や微地形,周辺の植生の違いによる影響を受けやすいことも要因として考えられる。高さ2m未満の林床植生ではチマキザサの出現率と林床多様度,均等度に正の相関があり,チマキザサが優占しやすい選択的管理,長伐期管理下にある里山ブナ林において,林床植生の多様性が高くなる傾向があった。
表1. 調査区ごとの管理類型,地形,経歴と生態的な特性 表2. 類型別里山ブナ林の種組成,多様性,林分構造
5.おわりに
里山ブナ林は,地域社会や文化と密接に結びついた長い利用の歴史から,その生態的な特性は地域の自然条件や社会環境に適応した独自の利用,管理手法の影響を強く受けていた。里山ブナ林を保全することは,天然生,選択管理,長伐期管理など,それぞれ異なった生態的特質をもったブナ林を保全することである。例えば,天然生里山ブナ林は,面積のまとまった天然ブナ林を復元する場合のコアとなる森林として,重要な役割を果たすであろう。また,選択的管理里山ブナ林は,天然ブナ林に近い種組成,林分構造をある程度保ちながらも,地域において高い植物種の多様性を保っていくものと思われる。
今後の里山ブナ林の保全管理計画においては,里山ブナ林の空間上の分布特性の変化とともに,利用履歴に基づく生態的特性の相違を解明することが不可欠である。そして,地域指定による行為規制にとどまることなく,里山ブナ林に特徴的な社会,生態的特性を維持してきた多様な管理手法を担保することが必要とされる。
平成12年度 森林総合研究所 研究成果発表会
他の課題へ2.森林が気候に及ぼす影響をモデル化する 3.タイ熱帯林の生育環境と季節変化の観測