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更新日:2019年8月1日

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自然探訪2019年8月 コマクサ

コマクサ Dicentra peregrina

ケマンソウ科(ケシ科ケマンソウ亜科とする分類体系もあります)の多年草であるコマクサは、高山の砂礫(されき)地を生育地としています(写真1、2)。こういった場所は絶えず砂礫が動くため、植物が定着して生育するにはたいへん厳しい環境です。実際、そのような場所に生える植物はごく限られた種類しかありません。コマクサは非常に長い根を張ることによってそんな過酷な環境で生きる能力を獲得しています。反面、他の植物との競争にはめっぽう弱いのでしょう、コマクサが他の植物と隣接して生育していることは少なく、まして、他の植物と混ざって生えていることは皆無です。「高山植物の女王」と呼ばれることもあるコマクサですが、従者を持たない孤高の、というよりむしろ、孤独の女王といえるかもしれません。

それにしても、「高山植物の女王」と呼ばれるほどコマクサの人気が高い理由のひとつは独特の花の形ではないでしょうか(写真3)。近縁の植物の中に似た形の花を着けるものがあるので、これだけが独特というわけではないものの、ピンクのグラデーションが美しいその色合いが、高山で他の植物と混ざることなく生きる性質と相まって、目を引く存在であることは間違いありません。その和名の由来は、蕾(つぼみ)または花の形が馬の顔を思い起こさせることだと言われています。学名の属名Dicentraは「2つの距(きょ)」という意味で、これも花の形によります。種小名peregrinaは辞書的には「異国の」と「奇妙な・風変わりな」という意味を持つ単語ですが、コマクサが「異国の」だとしたら不自然です。命名者である牧野富太郎の『牧野日本植物図鑑』では索引に学名の意味が付されていて、やはり「奇妙ナ」と書かれていました(1953年刊の改訂16版で確認)。

花と並んで葉の形も個性的です。ケマンソウ科の植物の葉は細かく切れ込んでいるものが多いのですが、コマクサの葉の切れ込みはとりわけ細かくて、パセリのよう、と表現されることもあります。花を見なくても、葉だけで間違いなく他の植物と区別することができます(写真4)。

さらに、生育地や形の他にも、コマクサには際立った特徴があります。それは、芽生えのとき、まるで単子葉植物のように子葉が1枚しか出ないことです。双子葉植物なら本来2枚あるはずの子葉が退化して1枚になっているのです。これは双子葉植物として極めて珍しい性質です。筆者はこの奇妙な子葉を観察したいと思っているのですが、残念ながら、まだ見ることができずにいます。

コマクサは、容易に人を寄せ付けない高山で遠い昔からたくさんの花を咲かせ続けてきた、と想像するのが普通でしょう。しかし、実際は必ずしもそうではなかったようです。なぜかというと、古くから腹痛に効く薬草として商業的に採取されてきたからです。濫獲(らんかく)のため絶滅した山もあり、一部では人工的な生育地復元が試みられています。さすがに現在そんな採取は行われていませんが、いま比較的大きな群落が見られる山であっても、過去には大幅に個体数を減らした時代があったかもしれません。それでは、将来はどうなるのでしょうか。2019年版の環境省レッドリストを見るとコマクサは入っていません。しかし、いくつかの自治体は独自のレッドリストに含めています。つまり、日本中からコマクサが消える心配は当面ないものの、地域絶滅はありうる、と危惧されるのです。その原因のうちの少なくとも一部は人間からの直接・間接の影響です。コマクサに限らず、多くの高山植物の運命が人間によって左右されていることについて改めて考えてみてもよさそうです。

(広報普及科 堀野 眞一)

 

写真1. 北アルプス北鎌尾根で咲くコマクサ
写真1. 北アルプス北鎌尾根で咲くコマクサ

写真2. 岩手山山頂付近の群落
写真2. 岩手山山頂付近の群落

写真3. 個性的な形をした花
写真3. 個性的な形をした花

写真4. 果実をつけた株
写真4. 果実をつけた株

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